東北フィールドトリップ④~”糸かけ”がつなぐ思い~
2011年3月11日の東日本大震災のあと、ニュース番組が伝える被災地の映像を見るたびに、心が痛いばかりだった。そして、私は痛みを抱えるだけで、当時、何もできなかった。
当初、様々な所から送られてくる支援物資には物議が起こったが、”送る”という行動を起こした人の行動力は、とても大きいものだと私は思っていた。行動を起こせる人は、能動的に自分と被災地との間につながりを作った。
一方の私は、「私なんかに、何ができるんだろう?」と歯がゆい思いを抱くだけ。
時が流れ、ニュースもあまり流れなくなると、やがてその痛みは薄れていってしまった…。元々、東北に親族がいない私は、ニュースを介してつながっていた東北との接点さえもゼロになった。そしていつしか、私は、「震災前の私」に戻っていた。
時が流れて2019年12月。
アンコンシャスバイアスを東北の地で学ぶツアーに参加した。
この東北フィールドトリップツアーのなかで語り部の方からのお話しを聞きながら、同じように歯がゆさが体をはしったのは言うまでもない。話を聞きながら、「今の私にできる事は何だろう?」という2011年の同じ思いと向き合っていた。
そんな思いを抱えながら、ツアー2日目に、ひとつのキッカケがおとずれた。それは、語り部のおひとりでもある「NPO法人吉里吉里国の芳賀さん」のお話しを聞いていた時だった。(参照:東北フィールドトリップ②)
「芳賀さんの思いを、吉里吉里の木を使って、糸かけアートで表現できるかもしれない」
私にできる事と、震災地がつながった瞬間だった。
糸かけアートとは、木の板に釘を打ち、一定の法則で糸をかける事で模様を描くアートだ。私はここ1年、糸かけアートを趣味としており、作品作りを楽しんでいた。
震災で炎と出会い、炎から未来へと進んだ。
震災を無かった事にはしない。それを乗り越えて、今がある。
そうやって、色んなものがつながり今の吉里吉里がある。
芳賀さんのこの話しから得たメッセージをデザインへと落とし込んでいった。
今、この板は、吉里吉里国の事務所に飾られている。
東日本大震災にしろ、今問題になっているCOVID-19にしろ、私たちは一人の力では解決できないような自然災害に、どうやって向き合っていけばいいのだろうか?自分ができる事と、自然災害とをどうやってつなげていけばいいのだろうか?
台湾では、プログラマーがマスク在庫マップ(どこの薬局に、どれくらいのマスク在庫があるのかを記す地図)を作り上げたと聞いた。それも短期間のうちに。自分でできる事を探り、行動を起こした結果だ。
知る事を続ける。考える事を続ける。行動する事を続ける。
そんな風に私は感じる。
「自分なんかが」というインポスター症候群のその先には、状況打破の可能性が眠っているかもしれない。
<インポスター症候群>
能力があるにも関わらず、自分を過小評価してしまう
例:私にはできない、私にはまだ無理 など
アンコンシャスバイアス研修のなかで、伝えられているメッセージのなかに、私の好きな言葉がある。それは、「まずは、半径数メートルの範囲のなかで、出来ることを、まずは私から」というメッセージだ。
東日本大震災から8年8ヶ月がすぎて参加した東北フィールドトリップで、私は、岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里で、芳賀さんと出会った。そして、「復活の薪プロジェクト」の木材を利用して、「糸かけアート」をとおして、私にできることを、私ができる範囲で、トライしてみようと思っている。
【ライター】大谷まい(アンコンシャスバイアス研究所 事務局)