FAQ:アンコンシャスバイアスについて

今回のコラム記事では、過去にいただいた質問をいくつかご紹介させていただきます。

なお、解釈や受けとめ方は一人ひとり、その時々で異なると思いますので、ここでお伝えすることは、あくまでも、ひとつの参考としてとらえていただければと思います。

< 質問1 >

アンコンシャスバイアスを完全に無くすことはできるのでしょうか?

<回答>

アンコンシャスバイアスは無意識がゆえに気づきにくく、私たちの認知・判断のプロセスの根底にあるものです。そのため、アンコンシャスバイアスを完全に無くすことは、非常に難しいと言わざるをえないと考えています。

アンコンシャスバイアスを完全になくすことはできませんが、アンコンシャスバイアスに気づこうとすることで、相手や自分に対するネガティブな影響を最小限に抑えることは可能であると思います。

<質問2>

アンコンシャスバイアス(unconscious bias)の日本語訳についての質問です。

アンコンシャスバイアス研究所では、「無意識の偏見」という日本語訳を採択していないとのことですが、その理由を教えてください。

<回答>

アンコンシャスバイアス研究所では、
「無意識の偏見」ではなく、「無意識の思い込み」という意訳を採択しています。

その最も大きな理由は、アンコンシャスバイアスは、「相手」に対するものだけでなく、「自分自身」に対するものや、「モノ」に対すること等もあるからです。

自分自身に対するアンコンシャスバイアスや、モノに対するアンコンシャスバイアスについて気づこうとしたり、振り返ったりするときに、日本語意訳として、「無意識の思い込み」を採択したほうがよいと思うにいたりました。

「私にはどうせ無理だ」「どうせムダだ」等、自分自身のアンコンシャスバイアスに気づこうとすることは、自己評価や自己認識に影響を及ぼすと共に、自分自身のキャリアや人生の選択肢や可能性を広げることにも繋がるように思います。

「相手に対するアンコンシャスバイアスに気づいてよかった!」だけでなく、「自分自身に対するアンコンシャスバイアスに気づいてよかった!」ということも広がりゆくことを願って、アンコンシャスバイアスに日本語を添える場合には、「無意識の思い込み」を採択するようになりました。

<質問3>

「アンコンシャスバイアスは誰があること自体が問題というわけではありません。過去の経験や、見聞きしたことに影響を受けて、自然に培われていくため、アンコンシャスバイアスそのものに良し悪しはありません」という文章を読みました。

「あること自体が問題というわけではない」

「そのものに良し悪しはない」という点について、もう少し具体的に教えてください。

<回答>

はじめに、『アンコンシャスバイアスに気づかずにいると、“不適切な判断”や“不適切な言動”を引き起こすこととなり、結果として、「ネガティブな影響」や「問題」に発展する可能性はある』ということを、まずはお伝えしたいと思います。

そのうえで、ご質問に回答させていただきます。

①「あること自体が問題というわけではない」という表現が意味すること

アンコンシャスバイアスは、「認知」のプロセスの根底にあります。そのため、アンコンシャスバイアスの存在自体を否定することはできないと考えています。その点において、「アンコンシャスバイアスがあること自体が問題というわけではない」と表現していました。

②「良し悪しがない」という表現が意味すること

アンコンシャスバイアスは、無意識であるがゆえに、「無意識下のことに対して、良し悪しの判断は出来ない(分からない)」と考えています。その点において、「アンコンシャスバイアスそのものに良し悪しはない」と表現してきました。

無意識であるがゆえに、アンコンシャスバイアスそのものに対する良し・悪しの判断はできない(=分からない)ものの、アンコンシャスバイアスに気づかずにいたときの“不適切な判断”や“不適切な言動”は、「問題(=悪し)」となりえます。

最もお伝えしたいこと

それは、「アンコンシャスバイアスに気づかずにいたときの判断や言動が、知らず知らずのうちに、相手を傷つけたり、自分自身の可能性を狭めたり、キャリアに影響をおよぼす等、ネガティブな影響が様々にあるため注意が必要だ」ということです。

「これって、私のアンコンシャスバイアス?」「(略して)これって、アンコン?」が合言葉のようになり、一人ひとりがイキイキとする社会に一歩でも二歩でも近づいていければと思っています。

※追記※

繰り返しになりますが、アンコンシャスバイアス研究所では、「アンコンシャスバイアスに気づかずにいたときの“不適切な判断”や“不適切な言動”は問題となる」と考えています。ただし、「あること自体が問題ない」「良し悪しはない」といった表現が、「不適切な判断や言動が問題ない」という意味で伝わってしまうおそれがあると思うに至り、現在は、これらの表現は使わない方針をとっています。

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